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2015年3月21日 (土)

1995年 1月17日 そして 3月20日

 1995年3月20日の霞ヶ関・サリン事件のことで、
同窓生のMLで3人が寄稿していた。

下の娘の卒業式で会社を休んで、難を逃れた。

京都の会社に勤めていたが、
客先回りで東京にいた。

 ずーと京都に住んでいるので、この事件の前に起きた
「阪神・淡路大震災」のほうがショックだった。

 3月20日のサリン事件で、震災が忘れられたようで、失望感が広がった。この時、この震災から、福島の原発も何かを学んでおけば、良かったように思う。

 人間が起こした事象は解決策があったと信じている。
サリン事件と称するよりも、一連に犯罪は、オーム真理教による、クーデター!

 毎日、テレビを見ていると、いつの頃からか、 1) おもたい内容の話  2) まじめな話が、受けなくなったようだ。おもしろおかしいことが、好まれるようだ。

 ひとは、苦痛を感じるとか、考えないといけない事柄に苦手なんですが、ここにを乗り越えるところが、人間らしいところ?

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